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「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史」国立西洋美術館
国立西洋美術館
〒110-0007 東京都台東区上野公園 7-7


日本オーストリア友好 150 周年記念

「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史」国立西洋美術館

150 Years Friendship Austria-Japan

The Habsburg Dynasty: 600 Years of Imperial Collections

600 年にわたる帝国コレクションの歴史

 13 世紀末にオーストリアへ進出後、同地を拠点に勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げたハプスブルク家。 15 世紀以降、神聖ローマ皇帝の位を世襲し、ナポレオン戦争を引き金に同帝国が解体したのちは、後継のオーストリア帝国 (1867 年にオーストリア・ハンガリー二重帝国に改組) を統治しました。 数世紀にわたって広い領土と多様な民族を支配し、ヨーロッパの中心に君臨し続けた同家は、まさに欧州随一の名門と言えるでしょう。

 ハプスブルク家の人々はまた、豊かな財とネットワークを生かして、質量ともに世界屈指のコレクションを築いたことでも知られています。 そのうちオーストリアを拠点とし続けた同家本流による蒐集品の主要部分は、今日のウィーン美術史美術館における収蔵品の核となっています。 オーストリアと日本の国交樹立 150 周年を記念する本展では、同館の協力のもと、絵画、版画、工芸品、タペストリー、武具など約 100 点、5 章 7 セクションから、そのコレクションの歴史をみていきます。
 ハプスブルク家のコレクションの礎を築いた神聖ローマ皇帝マクシミリアン 1 世 (1459-1519) から、美術史美術館の建設者でもあるオーストリア・ハンガリー二重帝国 「最後の皇帝」 ことフラン・ヨーゼフ 1 世 (1830-1919) まで、同家の人々の紹介も兼ねつつ、時代ごとに蒐集の特色やコレクションに向けられたまなざしを浮き彫りにしていくことが本展の狙いです。


会期: 2019 10/19 [土]~2020 1/26 [日] 展覧会は終了しました。
   開館時間: 9 : 30 ~ 17 : 30 (金・土曜日は 20:00 まで)
※入室は閉室の 30 分前まで

休館日: 毎週 月曜日 (ただし祝日の 1/13 は開館) 12/28(土)~1/1(水)、1/14(火)
会場:
国立西洋美術館 (東京・上野公園)
主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社

'2019 10_18 日本・オーストリア友好 150 周年記念 「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史」 プレス内覧会の会場内の展示風景と図録の抜粋文でご紹介しています。
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「ハプスブルク展」国立西洋美術館
 
「ハプスブルク展」国立西洋美術館

日本とオーストリア友好 150 周年記念 ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史
開会式 & プレス内覧会 '2019 10_18
会場: 国立西洋美術館 (東京・上野公園)



「日の沈むことのない帝国」 ハプスブルク家の、至宝の物語。

「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史 展覧会概要 ~PRESS RELEASEより抜粋文~

 ウィーン美術史美術館の協力のもと、絵画、版画、工芸品、タペストリー、武具など約 100 点、5 章 7 セクションから、ハプスブルク家のコレクションの歴史を軸とした構成と同家の人々の紹介を織り交ぜつつ、時代ごとに蒐集の傾向や、コレクションのあり方をみていきます。
 本展では、ウィーン美術史美術館に伝わるオーストリア・ハプスブルク家のコレクションを紹介します。

Ⅰ. ハプスブルク家のコレクションの始まり
Ⅱ. ルドルフ 2 世とプラハの宮廷
Ⅲ. コレクションの黄金時代:17 世紀における偉大な収集
Ⅲ-1. スペイン・ハプスブルクi家とレオポルト 1 世
Ⅲ-2. フェルディナント・カールとティロルのコレクション
Ⅲ-3. レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督
Ⅳ. 18 世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
Ⅴ. フランツ・ヨーゼフ 1 世の長き治世とオーストリア・ハンガリー二重帝国の終焉


'2019 10_18 日本・オーストリア友好 150 周年記念 「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史」 プレス内覧会の会場内の展示風景と図録の抜粋文でご紹介しています。
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画像をクリックすると Ⅲ. コレクションの黄金時代:17 世紀における偉大な収集 Ⅲ-1. スペイン・ハプスブルクi家とレオポルト 1 世」 の章が、ご覧いただけます。

《ローマ王としてのマクシミリアン1世 (1459-1519)》
・cat No. 1
Ⅰ. ハプスブルク家のコレクションの始まり

・ コレクションの “創始者” 皇帝マクシミリアン 1 世
・ 同家初の大コレクター、オーストリア大公フェルディナント 2 世

 本展の冒頭を飾るのは、神聖ローマ皇帝マクシミリアン 1 世ゆかりの絵画や武具などです。
ハプスブルク家の発展に重要な役割を果たしたマクシミリアン 1 世は、同家コレクションの礎を築いた人物でもありました。
第 1 章では、一門の系譜を示す重要なツールであった肖像画や、「中世最後の騎士」 と呼ばれる皇帝が着用した甲冑を紹介します。
 第 1 章の鍵となる二人目の人物は、ティロルの統治者であった大公フェルディナント 2 世 (1529-1595) です。 彼は、インスブルック近郊のアンブララス城を拠点に大規模な収集を行い、ハプスブルク家のコレクション構築にきわめて重要な役割を果たしました。
本章の後半では、フェルディナントが収集に情熱を傾けた甲冑や工芸品を紹介します。

 《オーストリア大公フェルディナント2世(1529-1595)の肖像》&《神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)の甲冑》&《ヴュルテンベルク公ウリヒッヒ(1487-1550)の実戦および槍試合用溝付き甲冑》
左・cat No. 7 /中・cat No. 2/右・cat No. 6

左・cat No. 1 ベルンハルト・シュトリーゲル [メミンゲン、1460 年-メミンゲン、1528 年] とその工房、あるいは工房作 《ローマ王としてのマクシミリアン 1世 (1459-1519)》 1507/08 年頃 油彩/板 79.2 x 50.9 cm ウィーン美術史美術館、絵画館
中・cat No. 2 ロレンツ・ヘルムシュミット [アウクスブルク、1445 年頃-アウクスブルク、1516 年] 《神聖ローマ皇帝マクシミリアン 1世(1459-1519)の甲冑》 アウクスブルク、1492 年頃 鉄、鍍金された真鍮、皮革 高さ 185 cm ウィーン美術史美術館、帝室武具庫/ 右・cat No. 6 ヤーコブ・ザイゼネッガー [ニーダーエスターライヒ、1505 年-リンツ、1567 年] 《オーストリア大公フェルディナント 2世(1529-1595)の肖像》 1548 年 油彩/カンヴァス 184.5 x 89 cm ウィーン美術史美術館、絵画館/ 左・cat No. 7 ヴィルヘルム・フォン・ヴォルムス(父) [1538 年歿] 《ヴュルテンベルク公ウリヒッヒ(1487-1550)の実戦および槍試合用溝付き甲冑》 ニュルンベルク、1520-30 年頃 鉄、皮革 190 x 85 x 63 cm ウィーン美術史美術館、帝室武具庫

左・cat No. 1 マクシミリアン 1 世は、ハプスブルク家による支配の礎を築いた人物で、同家がヨーロッパで最も勢力のある一門として長く君臨するために、巧みな結婚政策を展開した。自身は 1477 年にマリー・ド・ブルゴーニュ (1457-1482 年) と結婚し、彼女が早世したため、ブルゴーニュの領地を手に入れた。 同様に、子供や孫たちの結婚も将来にまで及ぶ重大な結果をもたらし、これによって、ボヘミア、ハンガリー、そしてスペインもハプスブルク家の所領となった。 シュトリーゲルがマクシミリアン 1 世の宮廷画家となり、1486 年のマクシミリアン 1 世の即位を記念するために制作されたと思われる作品で、権威のしるしである王冠、笏、剣を強調している。 中・cat No. 2 中世末期そしてルネサンスを通じて、甲冑は男性が所有する最も高価な着用品の一つで、身体保護だけでなく、政治的そして軍事的な力の象徴であり、着用者の身分の高さを示すものでもあった。 この甲冑の場合、マクシミリアン 1 世が 1490 年代初め、ハプスブルク家世襲の地オーストリアにおける支配権を獲得したことを記念するもので、31 歳のマクシミリアン 1 世は、まずはティロルの支配者となり、同じ年にハンガリー王マーチャーシュ 1 世(1443-1490 年)が 47 歳という若さで亡くなったため、当時のハンガリーの手中にあったウィーンを含むオーストリア東部の支配権を取り戻すことにも成功した。 右・cat No. 6 画家ザイゼネッガーは 1530 年よりオーストリア大公フェルディナントに仕え、後に神聖ローマ皇帝フェルディナント 1 世として即位する人物であり、画家自身も 1558 年に貴族に叙された。 この作品は、1548 年オーストリア大公フェルディナント 2 世 (次男) を描いたもので、ボヘミアン総督に就任したばかりで後 1567 年まで総督を務め、同年ティロルの新たな領主に任ぜられる。 左・cat No. 7 ヴィルヘルム・フォン・ヴォルムスは名高い名声を博した甲冑師で、1501 年以降の記録が残っている。 この甲冑に溝状の装飾を施すフルーティングという技法は、16 世紀に特に人気のあったもので、当時の襞付きの衣服に近い外見と、太陽のきらめく反射を生じさせる効果によって、着用者の姿は魅力的に演出された。



画像をクリックすると Ⅲ. コレクションの黄金時代:17 世紀における偉大な収集 Ⅲ-2. フェルディナント・カールとティロルのコレクション」 の章が、ご覧いただけます。

ヨーゼフ・ハインツ(父)《神聖ローマ皇帝ルドルフ2世》
・cat No. 16
Ⅱ. ルドルフ 2 世とプラハの宮廷

・ 稀代のコレクター、ルドルフ 2 世
 第 2 章では、ハプスブルク家内に留まらず、ヨーロッパ史上においても稀代のコレクターであった神聖ローマ皇帝ルドルフ 2 世 (1552-1612) のコレクションに注目します。 デューラーの 《ヨハネス・クレーベルガーの肖像》 や、スプランゲルやハインツらによるエレガントで官能的な神話画など、皇帝のお気に入りの画家たちの作品や、精巧な細工が施された工芸品、アジア由来の珍しい品々を紹介します。 さらに、ルドルフ 2 世が銅版を所蔵していたデューラーの作品や、皇帝に献呈されたホルツィウスの作品などを通して、彼の版画関連のコレクションやパトロネージについてもみていきます。

《メルクリウスの警告を受けるヴィーナスとマルス》&《ユピテルとかリスト》
左・cat No. 21/右・cat No. 22

左・cat No. 16 ヨーゼフ・ハインツ(父) [バーゼル、1564 年-プラハ、1609 年] 《神聖ローマ皇帝ルドルフ 2世(1552-1612)の肖像》 1502 年頃 油彩/銅板 16.2 x 12.7 cm ウィーン美術史美術館、絵画部
中・cat No. 21 バルトロメウス・スプランゲル [アントウエルペン、1546 年-プラハ、1611 年] 《メルクリウスの警告を受けるヴィーナスとマルス》 1586/87 年頃 油彩/カンヴァス 108 x 80 cm ウィーン美術史美術館、絵画部/ ・cat No. 22 ヨーゼフ・ハインツ(父) [バーゼル、1564 年-プラハ、1609 年] 《ユピテルとカリスト》 1603 年のやや後 油彩/銅板 40 x 31 cm ウィーン美術史美術館、絵画部

左・cat No. 16 本作品は、神聖ローマ皇帝ルドルフ 2 世を、宮廷画家の筆は柔らかな髪や髭を繊細にとらえ、しわや目元の弛みを克明に描写している。 スペイン風の黒い衣装をつけた皇帝は、山高の縁なし帽をかぶっており、白い襞襟や刺繍、帽子の羽飾りも控えめで、地味な印象すら受ける。 ただし胸元には、キリスト教の護持と騎士道精神の高揚を目的に設立された、ハプスブルク家の神権的選良意識の表徴であった金羊毛騎士団の頸飾りがはっきりと描かれいる。 中・cat No. 21 神聖ローマ皇帝ルドルフ 2 世のコレクションに由来し、古代神話の恋愛譚に取材した作品。 美と愛の女神ヴィーナスは、足の不自由な鍛冶神ウルカヌスの妻であったが、軍神マルスと恋に落ちる。 右・cat No. 22 神聖ローマ皇帝ルドルフ 2 世の宮廷画家であったハインツは、皇帝の趣味に応えて、古代神話の物語を官能的かつ優美に描いた小型絵画を数多く制作した。



画像をクリックすると Ⅲ. コレクションの黄金時代:17 世紀における偉大な収集 Ⅲ-3. レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督」 の章が、ご覧いただけます。

《フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)の肖像》
cat No.88
Ⅳ. 18 世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー

・ 激動の時代を生き、帝国ギャラリーの整備や公開にも尽力
 第 4 章では、ハプスブルク家の難局を乗り切り、優れた政治的手腕で広大な領土を統治して、「国母」 と思われた マリア・テレジア (1717-1780)、その末娘でフランス国王に嫁ぎ、市民革命で命を落とした マリー・アントワネット (1755-1793) など、激動の時代を生きたハプスブルク家の人々の肖像画を中心的にみていきます。 また 18 世紀は、今日の美術館展示につながる帝室ギャラリーの整備や、啓蒙的観点に基づく一般公開の開始という点でもきわめて興味深い時代でした。 本章ではこうした歴史も紹介します。

《フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)の肖像》
左・cat No. 84 /右・cat No. 81

左・cat No. 88 マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン [パリ、1755 年-パリ、1842 年]  《フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)の肖像》 1778 年 油彩/カンヴァス 273 x 193.5 cm ウィーン美術史美術館、絵画部
右・cat No. 81 オーストリアの画家  《神聖ローマ皇帝カール 6世(1685-1740)の肖像》 1720-30 年頃 油彩/カンヴァス 106.5 x 85 cm(楕円形) ウィーン美術史美術館、絵画部/ 中・cat No. 84 マルティン・ファン・メイテンス(子) [ストックホルム、1695 年-ウィーン、1770 年]  《皇妃マリア・テレジア(1717-1780)の肖像》 1745-50 年頃 油彩/カンヴァス 162 x 114 cm ウィーン美術史美術館、絵画部

左・cat No. 88 1778 年に画商と結婚した女性画家ルブランは、同じ頃ルイ 16 世(1754-1793 年)の宮廷に雇われ、王妃マリー・アントワネットお気に入りの画家として王侯貴族や裕福な市民階級の肖像画を数多く手掛けた。 1783 年に女性画家ラビーユ=ギアールとともに王立絵画彫刻アカデミーの会員となりその名を欧州に轟かせたが、革命期には 「王妃の画家」 という栄誉が災いし、一人娘を連れて亡命生活を余儀なくされる。 右・cat No. 81 この楕円の肖像画には神聖ローマ皇帝カール 6 世(1678-1711 年)が描かれている。 彼は 1711 年に没した兄ヨーゼフ 1 世(1678-1711 年)を継ぎ、神聖ローマ皇帝に選出された。 皇位の継承と同時に、オーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王の位も引き継いだ。 カール 6 世は男子の世継ぎを得ないまま 1740 年に死去したが、周到にも 1713 年に発布した国事詔書によって、長女マリア・テレジアが代々の領地だけでなく、ボヘミアとハンガリーの王位も継承できる手筈を整えていた。 ただし女性であるがゆえに、彼女が皇帝の称号を受け継ぐことは叶わなかった。 左・cat No. 84 オーストリア史で最も重要かつ人気の高い統治者に数えられるマリア・テレジアは、1736 年にロートリンゲン公フランツ・シュテファンと結婚し、その 4 年後に父である神聖ローマ皇帝カール 6 世が死去すると、オーストリア大公、ボヘミア女王、ハンガリー女王の地位に就く。 この三つの地位は、聖イシュトヴァーンの王冠(ハンガリー)、聖ヴァ―ツラフの王冠(ボヘミア)、そしてオーストリア大公冠という、テーブル上で表現されている。 女性は神聖ローマ皇帝になれなかったため、夫が 1745 年に神聖ローマ皇帝フランツ 1 世として即位した。



画像をクリックすると 歴史を彩った、王家の 8 人の物語。 が、ご覧いただけます。

《オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ 1 世(1830-1916)の肖像》
cat No.97
Ⅴ. フランツ・ヨーゼフ 1 世の長き治世とオーストリア・ハンガリー二重帝国の終焉

・ ウィーン美術史美術館の建設者フランツ・ヨーゼフ 1 世と皇帝エリザベト
 ナポレオン戦争をきっかけに神聖ローマ帝国は解体し、その後継として、1804 年にオーストリア帝国が誕生します (1867 年にオーストリア・ハンガリー二重帝国に改組)。 しかし、同帝国も第一次世界大戦での敗戦により崩壊し、ハプスブルク家の栄華は終焉を迎えることとなります。 1914 年に第一次世界大戦が勃発して以来、ハプスブルク帝国が戦争状態にあり フランツ・ヨーゼフ 1 世の死の 2 年後に終結するこの壊滅的な戦争は、オーストリア=ハンガリー帝国の敗北と君主制の廃止をもたらした。
最終章が取り上げるのは、いわばハプスブルク家の黄昏の時代ですが、この時代には、現在につながるウィーンの街の姿が整備され、ウィーン美術史美術館も建設されました。
 本章では、その立役者であり、約 60 年にわたって君臨したいわばオーストリア・ハンガリー二重帝国を象徴する存在、フランツ・ヨーゼフ 1 世とその妃エリザベト (1831-1898) の肖像画やゆかりの品などを中心に見ていきます。

《聖シュテファン大聖堂の前を馬車で行くアーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ 1 世(1830-1916)》&《バート・イシュルのオーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ 1 世(1830-1916)とセルビア王アレクサンダル(1876-1903)》
左・cat No. 3 /右・cat No. 5

左・cat No. 97 ヨーゼフ・ホラチェク [ヴォルカースドルフ・イム・ヴァインフィーアテル、1830 年-リイェーカ、1885 年] 《薄い青のドレスの皇妃エリザベト(1831-1898)》 1858 年 油彩/カンヴァス 130 x 90 cm ウィーン美術史美術館、絵画部
左・cat No. 100 エルンスト・グラーネル [ヴェルダウ、1865 年-ウィーン、1943 年] 《聖シュテファン大聖堂の前を馬車で行く オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ 1世(1830-1916)》 1911 年 油彩/カンヴァス 42 x 52.5 cm ウィーン美術史美術館、帝室馬車博物館/ 右・cat No. 99 ベルトルト・リッパイ [トゥルゾフカ、1864 年-ウィーン、1919 年] 《バート・イシュルのオーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ 1世(1830-1916)とセルビア王アレクサンダル(1876-1903)》 1891 年 油彩/カンヴァス 74 x 100.5 cm ウィーン美術史美術館、帝室馬車博物館

左・cat No. 97 エリザベトを縮めたシシィという愛称知られる、オーストリア=ハンガリー二重帝国皇妃の生涯は、その死後ほどなくして、神話的な地位を得る、数々の書籍、ミュージカル、映画が、彼女の生涯を感傷的かつロマンチックな物語として描き出したのである。 彼女が 「世紀末」 のハプスブルク家の君主政治が隆盛をきわめた時代を生き、無政府主義者ルイージ・ルケーニの手に掛かり悲劇的な死を遂げたことも、公衆の関心を一層高めた要因となった。 また、今日もなお、ウィーンのカプツィーナー納骨堂にあるシシィの墓碑に、ハンガリーの国旗を表す赤、白、緑のリボンが掛けられている。 シシィはまた、ある種の美の規範とも結び付けられてきた。 現存する彼女の衣装は、その長身で細身の、「蜂腰」 を持つ体型を彷彿とさせる。 右・cat No. 99 本作品では、夏季の公式訪問が主題として取り上げられている。 1891 年 8 月にフランツ・ヨーゼフは当時 14 歳だったセルビアのアレクサンダル王 (1876-1903 年) を歓待した。 フランツ・ヨーゼフとアレクサンダルは後部座席に腰を掛け、当時、国家元首にふさわしい服装と見做されていた軍服を着用している。 画面上部の道には人々が詰めかけ、ふたりの君主を見逃すまいとしている。 中・cat No. 100 本作品は、聖シュテファン大聖堂の荘厳な正面入り口のような、一見してそれとわかるウィーンの名所を背景に据え、晩年のフランツ・ヨーゼフ 1 世を描いている。 フランツ・ヨーゼフは、普段着に身を包んで防寒用のブランケットを膝にかけ、副官ひとりを付き従えているだけである。 皇帝が大人数の身辺警護人を必要としなかったことが読み取れる。


'2019 10_18 日本・オーストリア友好 150 周年記念 「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史」 プレス内覧会の会場内の展示風景と図録からの抜粋文でご紹介しています。
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画像をクリックすると 一族の宝物から公共の美術館へ が、ご覧いただけます。

ウィーン美術史美術館

 ウィーン美術史美術館 KUNST HISTORISCHES MUSEUM WIEN

 ウィーン美術史美術館は、ルーヴル、プラドと並ぶ欧州三大美術館と言われています。 長きにわたりヨーロッパに君臨したハプスブルク家が蒐集したコレクションを核に設立されました。 世界最大のブリューゲルのコレクションをはじめ、ベラスケス、ティツィアーノ、ルーベンスなどの絵画、その他エジプト・オリエントコレクション、彫刻、武具、工芸品、貨幣など合わせて 76 万点もの収蔵品を誇ります。
2013 年、ウィーン美術史美術館とTBSテレビは 10 年間のパートナーシップを結ぶことに合意しました。 「クラーナハ展」 (2016-17 年/東京・大阪開催) につづく 2 回目のパートナーシップ事業となります。

ハプスブルク家とは ―ハプスブルク家はライン川上流域の豪族として頭角を現し、13 世紀末オーストリアに進出しました。 以後、同地を拠点に中東欧、ネーデルランド、スペインなどに支配を広げ、カール 5 世 (1500-58) の時代には中南米やアジアにも領土を獲得して 「日の沈まない世界帝国」 と呼ばれた無敵の王国を築き上げます。 15 世紀以降、神聖ローマ帝国の皇帝位を代々世襲し、ナポレオン戦争による神聖ローマ帝国解体後は、後継のオーストリア帝国の皇帝となりました。 第一次世界大戦後、帝国が崩壊し、ハプスブルク家の権勢も終焉を迎えますが、数世紀にわたって、広大な領土と多様な民族を統治し、ヨーロッパ史の中心に君臨し続けた同家は、まさに欧州随一の名門と言えるでしょう。


  

お問合せ:tel 03-5777-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト: https://www.habsburg2019.jp
国立西洋美術館公式サイト: http://www.nmwa.go.jp/

主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社
共催:日本経済新聞社
後援:オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム、BS-TBS
特別協賛:大和ハウス工業株式会社
   協賛:三井物産、大日本印刷、みずほ銀行
特別協力:ぴあ、TBSラジオ
   協力:ANA、ルフトハンザカーゴ AG、西洋美術振興財団
   

参考資料:「ハプスブルク展 600 年にわたる帝国コレクションの歴史」 記者発表会、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。
※画像の無断転載禁止

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